読まない読書法/
新しい意識のはたらき

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本を使っていた頃のるん・るです、現在は本を使いません
広島大学新聞の記事/1995.4.20号から/
第11回 植原速読法
本は「読む」ものではない
 人は、どうして本を読むようになったんですかね。始めは、自分で読むのではなく、絵本などをお母さんに読んでもらうわけです。自分は絵を眺めているだけです。少し大きくなって、学校に入ると、そこで先ず本格的に本を「読む」ということを教えられる。だから教えられなかったら、おそらく本は「読まない」わけです。
 一番最初に私達が本と付き合うようになったのは、読む本からではなくて、絵本からです。絵本ですから「読む」ということはなかったと思いますが、眺めてみますと、何が書いてあるのかが良く分かる。そこに字は書いてないのに、お母さんは、その絵本を見ながら皆さん方にお話しをしてくれていたわけですが、それはお母さんが、絵の中で感じとったものを子供に伝えているのです。だから本は読んでないのです。読んでないのに本の内容が分かる。ここにですね、私達はもう一度立ち帰ってみたいんですよ。

文字は作者の意識の仮の姿
 画家は絵によって、音楽家は音によって、訴えたい何かを伝えているんです。
作家は、それを文字という形で私達に伝えているんです。ですから最初は、本というのは文字ではなかったんです。その作者の意志だったんです。こういうことを伝えたいという意志、意識のままでは、おそらく人に一気には伝えられないから、いちばん伝え易い、本という形にとりあえずは変えてあるだけなんです。言ってみれば、本というのは作者の意識が仮の姿をとって文字として並んでいるだけなんです。

 ある作者が、我々にこの本を書いて、伝えたいと思っている意識を、文字という形に変えて集めてある、意識の一つのバッテリー、意識を貯めておく蓄電池みたいなものです。蓄電池を見たって、何処にも電気はないが、ある操作をすると、形からは想像できないようなものが流れ始めるじゃないですか。それと同じことなんです。この本を作る前に、作者が持っていた意識がこの本に貯まっている。
 その貯まっている意識が、ある操作をすればスーッと流れ出すようにして、「意識」として感じ取っていけるはずなんです。

意識は文字によらず伝わる
 文字も知らない、言葉も良く分からない赤ちゃんのころは、そこに書いてあるのをただ受け入れるだけだった。分かったか分からなかったかは関係ないんです。
 それは、私達に何の影響も与えていないかというと、そうではない。素直に、私達が本を手に取ったとき、著者が私達に伝えたい気持ちが、この本の中に込められているなら、その気持ちが「伝わってくる」んです。
 私達は忘れてしまっているんです。教えられて、だんだん本というものは読まなきゃいけないと思ってるだけなんですから、そういうはっきりした頭の働き方を教えられてしまったので、眺めているのでは、本の内容は分からないんだと思うようになってしまったんですから、先ずは、今日は忘れてみて欲しいんですよ。
 書いてある文字がどういう意味を持っているか、それを私達が、どのように理解し、 記憶し、またそれを再生したらいいかというのは、私達が本来持っている「意識」の働きからすれば、ほんのわずかなものです。
 私達の普段の生活を思い出してみますと、意識して覚えようとして覚えたことなどほとんどないんです。また逆に、覚えようと思ったことが覚えられず、思い出せないんです。私達は覚えようとしてやったことが覚えられず、思い出そうとしても思い出せないから、忘れちゃったと思っているんです。しかし、私達は、一度経験したことは決して忘れることはできないんです。

一度見た事は忘れない
 一度本を手にして、こう、パラパラでもいいです。眺めてしまったら、決して忘れることはできないんです。どんなに私達は記憶を消そうと思っても消すことはできない。普段はただ思い出せないだけ、あるいは思い出せないと思っているだけなんです。
 私達は本来、いつでも好きな時に思い出すことができるんです。これは私がここで迷いごとを並べているのではなくて、私達の脳は一度見たり聞いたりしたことは決して忘れないという研究結果を発表してノーベル賞をいただいている人もいますから、間違いないことです。だったら何も、覚えようなどと意識的努力はする必要がないんです。  

 今まで教えられてきたことを常識的に正しいと思っているだけなんです。
 その「常識的な意識の働き」が、今の時代に少々そぐわなくなってきているはずなんです。「世の中変わってきてますよ」と、いろんな面で言われてます。経済にしろ、社会にしろ、政治にしろ、私達の日常生活に、今までとはちょっと変わった現象がたくさん起こってきている。それは何かというと、私達の「意識の持ち方」が変わってきている。考え方が、変わってきたんです。
 考え方が変わってきたということは、今まで常識と思ってきたことが、常識じゃなくなってきていることなんです。
 それなのに、もう何千年も、「本というものは読むものだ」と、「常識的な読み方どうりにしなかったら本というものは分からないものだ」と、思っていることの方が、おかしいと思いませんか。

 普段やっていることを、もう一度思い返してみて欲しいんです。そうすると、今まで私達が想像しなかった、「新しい意識の働き」、新しいといいましたが、新しいのでなく、元々あったもので、それを気付いていなかっただけなんです。
 自分の奥底の「意識」が、今までの自分と違う働きをしてもいいんだということを受け入れたら、自然に変わってしまうんです。それは、皆さんが、自分を変えていく、自分の才能を最適な方向に自分で変えていくわけですから、私がいくら申し上げたって、何の効果もないのです。そのきっかけを本を使ってやっていただきたい。
 そうすれば、本をこれから手にした時、今までと違う感覚で、本とお付き合いできる。そうしますと、私達は、本を速く読みたいなあと思っていたそのことが、いつの間にかできているんだということに、気付かれると思います。

本は人類最高の発明
 本の持っている本当の素晴らしさ、ただ、ここに本があって、文字を読んで理解していく、それに留まらない、本の持っている本当のすばらしさ。これは何度でも申し上げますが、人類の発明した、最高のものだと思います。
 これほどのものを人間はまだ発明したことがない。コンピュータなど、ものすごい発明ですが、計算以外のものはできないです。人間は計算機ではないのです。
 これからやっていただくのは、眺めるということです。ただ眺めろといってもなかなかできないものです。人間というのは、一つのことになかなか集中できない。だいたい集中してしまったら、人間の価値はなくなってしまいます。
 人間の人間たる所以は、一遍に幾つものことができるということ、これが人間の素晴らしい意志の働きです。
 この本を眺めろと私が、申し上げても、眺めながらいろんなことを考えます。考えてもいいんです。そうでありながらも眺めてもらえればいいです。そうすると眺めるのが、嫌になってくるんですが、そうなったらそれも受け入れて下さって結構ですし、寝てしまっても結構です。別に無理矢理に取り組まなくて結構です。
その時の自分の意識の流れに任せて下さい。

(練習)
一般的に、正常な日本人の大人の平均のスピードは、一分間に八〇〇字ぐらいで、 だいたい一ページぐらいです。しかし、それでは人間の脳のスピードにとって遅すぎるんです。どうして私達は、本を読んでいて、内容が良く分からないのかというと、これは別に私達の頭が悪いわけでも何でもないんです。
 理由の一つは、今言った読むスピードの遅さ。脳のスピードからしたら、一分間に八〇〇字なんて、遅すぎて遅すぎてあくびしてしまう。だから働かないんです。
それともう一つは、著者が、私達に伝えようと思ったのに、うまく伝わらないということ。それは私達の問題ではなくて、著者の問題なんです。本読んで良く分からないのは本を作った人のせいなので、全然気にする必要はない。

速度を上げれば良く分かる
 読むスピードを上げていきますと、私達の意識の働きは、凄い広がりをしていきますので、訳が分からないものが、スピードを上げる方が良く分かってくる。
 この前、日本人として久しぶりに、大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞しました。あの大江健三郎さんの書いた本は、良く分かりにくいと言われるが、どうしてかといいますと、あの人の意識の流れのスピードと、私達の意識の流れのスピードは違うんです。あの人のは、ものすごく速いんです。それなのに私達は普通に読んでいったら、あの方の意識の流れに追いつかないんです。ある人がいみじくも言っていましたが、大江さんの文章は、読んでも分からない、あの方のは、読まないでパラパラと眺めていれば分かる、と書いていらっしゃいました。本というのは、じっくり読まないと分からないというのは大間違い。じっくり読まなくて分かる。

 本というのは、自由自在に前からであろうが、後ろからであろうが、自由自在にできる。人間の意識というのは、コンピューターなどと比べものにならない。

 表紙の固い本のお持ちの方は、こうして欲しい(注)ハードカバーの本はこうするためにあったんです(笑い)。そうすると、中までちゃんと見えるようになっている。でも見えないものは、用のないもので、そんなものまで見る必要はないんです。見える所だけ眺めたらいいんです。一生懸命見ようと思うと大変で、気楽に眺めておこうとするのがいい。
(注:表紙を360度クルリと開いて片手に持ち、中身だけをパラパラする)

(練習)
都合の良い事だけを
脳に伝える

 このパラパラ(本が速くめくれる音)というのが脳に心地よいのです。脳は速いのが好きなんです。 体こんなものかなあという内容が感じられる程度の速さで進んで下さい。

 聞くというのは、寝てる時も起きてる時もやっている。ただ起きている時は、意識というバリヤがあって素直に受け入れない。我々は、物事を聞いていると思っていますが、「意識」が選別して自分の都合のいいようにしか脳に伝えない。

 意識が高まると、そのバリヤがなくなり、自分の全ての細胞に伝わってくる、全ての情報を受け入れます。その時、人間の持っている素晴らしい仕組みを感じていただけるようになると思います。そしたら、頭の働きなんて大したことなかったんですね、頭を働かせないということは、すごいんですね、と感じていただける。私達の素晴らしい理性の働きも結構ですけど、その理性の働きを止めた時に目覚める、さらに高度な理性の働きにぜひ気付いていただきたい。

(練習)
 本の内容なんて分かる必要がないんです。私達は、コンピューターじゃないんだから、素晴らしい働きをする「意識」を持っている。私達は経験したことを素直に受け入れておいて後は忘れてしまえばいい。覚えようとしないで経験していけばいいんです。

 日本酒の元はお米です。お米に、ある作用を加えて時間をかけて置くと、自然に味も形も全然違うものとなって出てくる。それがまさしく私達の意識の働きと同じことなんです。私達は受け入れたものを、そのまま正確に出すのではなくて、受け入れたものを、私達の脳は、受け入れたということも忘れてしまっていますと、脳はじっくり時間をかけて美味しくしてくれるんです。そしていつか必要な時に、必要な形で、フッと引き出すことができるのです。

質疑応答
Q:眺めていれば良いと言われたので、眼鏡も外して、眺めていった。黒い筋しか見えなかった。こういう感覚でもいいのですか?

A:目の焦点が合わなくなって、ボーッとしても構わない。眺めて、文字を感じとるのではなく、著者の意識を感じとれば良いのです。だから、文字が見えるかどうかは問題ではない。そしてフッと気付いてみると、眼鏡を取った方が、良く見えてると気付く人も多い。紙の上の字を見ているのではない。

 本の中に本当にとんでもない世界がある。例えば、本の中に「大森」というのがでている。この「大森」という単語がでてきた過程がどういうものだったか、その何千年の歴史の内容が、ザッと出てくる。そういうことができる人が、もう何人もいる。

 できないというのは、そう思っているだけなんです。世の中に誰かできる人がいるということは、誰でもできるということです。 眺めていると、ボーッとなってくるが、そうすると、本と私との境目がなくなってくるんです。本なのかどうなのか全然分からなくなる。意識の大紀行が始まったということです。そうすると、読む必要がないじゃないですか、私は本なんですから。内容が、どうなのか、どうでもよくなる。

Q:じっくり読んで感動することは、なくなるんじゃないですか?
A:じっくり本を読んで感動するのとはまた違う感動がある(編注:例えば現実世界の人間関係の中で味わう感動の仕方と、読書中の感動の仕方とは違う)。
 私達は、とんでもない世界に触れることができる。普段の読書のスピードでは遅くていやになる。速いほど人間は心地いいんです。いろんな発明をしてスピードを速くするのは、速くしたいと思っているからです。光なんて遅くて仕方がない。もっと速いもので、ネットワークを組むことができることに気付き始めたんです。それは一銭の設備投資も要らない。本と自分との境目がなくなるとき、人間と人間の境目もなくなる。

Q:この方法で現実社会で役立つのですか。読むべき物がたくさんあるのですが。
A:眺めているだけでは、現実的には役に立たないのではないか、というのは当然の質問です。でも普通に読んでみても、この方法で速くなっているんです。

本を読みあさった時代
 私は年収の半分を本代に使っていたことがあって、妻にも怒られました。群馬に住んでいて、東京へ行こうと、子供達と一緒に、朝、車で神田に行って、本屋さんを廻って、バンの後ろが下がるぐらい本を買っていくんですよ。近くの本屋さんでは、買う本がなくなっちゃうんです。そういう時代もありました。もうそんなのはもったいないから、本屋さんへ行って、眺めるだけにしました。

 ある学生の方から聞いた話です。ある一つのテーマで、明日までにある程度のことを覚えておかないといけないという状況だったそうです。せっかくそれまで速読をやり詰めたんだから、あの植原、眺めときゃいいって言ったよなと、二時間で二百冊、そのことに関する本を、全然素人で何も知らないのだが、二百冊の本をとっかえひっかえ、とにかく本を積み上げる方が忙しかったそうです。

 すると、本の内容って、読んでるうちは分からないが、読まなくなったら、分かるということが、分かったそうです。読まなくなったら、本の方から、どんどん伝わってくると言うんです。だから、内容なんて分からなくていいのであって、一生懸命理解しようとすると、その分だけ人間の能力は縮まるのです。
人間の能力にとって、理性的に理解する能力なんて本当に何万分の一でしかない。それよりも、ただ眺めて、その分を受け入れていけばいい。 次の日に、そのことに関する権威者と合って話しをしたときに、日本を代表する権威者だったそうですけど、その人よりも、なんと良く知ってた。本当に、びっくりするほど、知らないのにしゃべってる、分からないのにどんどん言葉が出てきちゃうと言うのです。

Q:先生が、この速読法を気付かれた経緯を教えて下さい。
A:先ず、気付いた最大の理由は、私の性格が、きちんとしたことができないということです。私が一番好きなのが、ごろごろしていることです。ボーッとしていることです。

 しかしボーッとしている時が、実は人間の意識が最大の働きをしている時なんです。そうしていますと、自分の知らないことがどんどん分かってしまう。知らないと思っているだけで、実は分かるんです。

 そういう感覚で、本を眺めていたことがあるんです。そうしたら、本の内容が全然分からないんです。しかし、分からないんだけれど、本を読んだつもりはないんだけれど、何か知らないけれど、何か違うものが伝わってくる。文字ではないもので伝わってくるものが感じられたんです。

 そして、そういう感覚を何度も体験した。ああこれは面白いなあと思って、今度は自分だけでなく、他の人にも体験してもらうには、どうやったらいいのかと、意識で考え始めた。どうやったらそうなるのかと。

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