精進料理の三日間
植原先生が偶然見付けたちょっと良い感じの場所です。向かって左は高野大明神、右は丹生大明神を祀った社です。面白い事に二神とも影向明神と言う別名が付けられているようです。大きな生花が供えられているところを見ると地元の方にとって大切な場所のようです。(バス停「一心口」に面した公園のすぐ横) | |
上の額を拡大しました。ネットで調べると以下の記述が見つかりました・・・ 野大明神は、別名狩場明神。弘法大師を、高野山に導いた猟師であるといわれています。丹生大明神とは、丹生津姫命のことでしょうか。高野山はもともと、丹生津姫の山=女神の山だったのです。(丹生は水銀の事です) 空海を此処に惹き付けた二神だとすると、高野町の人達にとっては大恩人(神?)と言う事になります。 泊した蓮華定院は真田家の高野山における菩提寺と言う事で六文銭の家紋が至る所に貼られていました。その蓮華定院から道を隔ててすぐの公園の横に影向明神の社があります。 |
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以下の記述も見付けました・・・ 今昔物語などがつたえる空海の高野山開創伝承は、空海が密教の霊地を探していたとき、空海の前にあらわれ、高野山に導いたのは、犬を連れた、狩場明神(高野明神とも)であり、さらに丹生明神が高野山の地を空海に譲ってくれたとつたえている。 丹生明神 丹生は水銀のこと、以上より、空海は鉱山師の誘導により高野山を開いたと思われる。すくなくとも彼らの持つ権益との間で何らかの合意が成立していたと考えるべきであろう。 犬をつれた狩場明神 犬を連れているこの姿は産鉄民の姿そのものである。産鉄民=山の民(タタラ衆等)=渡来人技術集団、 高野山の北側から紀ノ川に至る間に多くの銅山が分布しています。空海は水銀ばかりでなく、この銅資源にも注目していたと考えられます。(山野を駆け巡った空海は、山の民との接触が濃厚であったと推察されます) ・・神様扱いされている空海ですが、優れた経済感覚を持つ実務家でもあったと言う事です。 |
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夕餉も朝餉もとにかく精進料理です。10年程前に会社の食事会で高野町のレストランで精進料理を食べたのですが、すこぶる不味かったので期待はしていませんでした。ところがこの宿坊の料理は美味しかったのです。参加者は何度かご飯をお代わりしていました。夕餉の席に女将(大黒?)さんや大女将92歳が来て挨拶をされるのですが真言密教の教理を長々とお喋りされるのでただでさえ熱くないお汁がさらに冷めてしまいました。この町で御大師様は神様なので失礼な発言をしないように参加者は気を遣っていたようです。真言密教は仏教という事になっていますが、空海が創った全く新しい宗教だと言う事が良く分りました。 | |
ちなみにお釈迦様は肉や魚を食べる事はいけないと説いた事はありません。お釈迦様をもてなす為にわざわざ殺したものは無益な殺生と口にしなかっただけです。それよりも酒の害は事ある毎に説いています。 | |
毛布には全て般若心経が刷り込まれています。今回の手配をしてくれたT氏が「近くの橋の下で寝ているホームレスがこれと全く同じ毛布を被っている」と言うのでみんな大爆笑です。宿坊で用意して下さったルンル会場は広くてなかなか快適でした。迷路のような廊下を100m程歩いた突き当たりの部屋なので会員以外は誰も来ずに気楽に過ごす事が出来ました。肝心のるん・るは高地なので酸欠状態になると先生は本当か冗談か分らない事を言われましたが、雰囲気がよいので参加者は満足していたようです。今回はT氏の努力のお陰で大成功の宿泊ルンルとなりました。 |