萩と京都
近・現代日本の出発点

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明治維新人物写真

自治会
   自治会の役員に自分の意思に関係なく選任されて気が付いた事です。 自治会の仕事の殆どが年一度の最大行事である区民体育大会を始めとして、数回のソフトボール大会、ゲートボール大会(グランドゴルフ)、ボーリング大会等々、あまりにもスポーツ 一辺倒なのが気になり始めました。 そしてその殆どは関心の無い住民の中からむりやり参加者を集めることです ・・・たいてい自治会役員が参加する事になります。

 それ以外には、住民の意思に関係なく集められる善意の募金。試しにパソコンの研修会を開こうかと持ちかけましたが、決められたものをこなすだけで忙しいのに何を馬鹿なことを言い出すのかという態度で皆さんから黙殺されました。区民体育大会で、市会議員になっている知り合いが壇上で挨拶するのを聞いていました。  

 「今回で43回目を迎える区民体育大会が・・・・」彼は30年以上前に民青寄りの組織で共に活動した先輩です。今は保守派議員の中で体育振興会連合会他、体育系の役職を幾つもこなしているようです。このような体育系の議員の働きにより、全国津々浦々に立派なスポーツ施設が出来上がる訳です。(私達の税金でね・・・そして盛大なオープニングセレモニーがすむとあとは人影まばらな壮大な空間が残ります)

安保条約
 42〜43年前と言えば岸伸介内閣総理大臣が1960年の第一次日米安全保障条約改定に向かって策動していた時期です。中学3年の時に中学から大学まである私学の生徒だった私は、高校の先輩に連れられて、大阪・中ノ島公園の安保反対集会に参加したことがあります。その頃に最初の区民体育大会が体育振興会連合会の呼びかけで全国一斉に開催されたようです。(探してみましたがネット上で情報は見つかりませんでした)  

 良識ある国民は安保反対などと叫ぶことなく、体育で汗を流す事が正しいありかただと誰かが考えたのです。奨励されたスポーツは欧米流の身体運動を中心としたもので 日本古来の「道」が付くものはことごとく排除されています。お上のやる事に民は口を出すなと言う体制が作り上げられた明治維新によって日本は覇権国家への道を突っ走ると共に西欧流がかっこいいと言う意識が国民の中に出来上がりました。

明治維新
 明治維新のキーポイントは「山口県出身の明治天皇」を担ぎ出した伊藤博文を筆頭に山口県萩周辺にいた人達と京都の貧乏公家岩倉具視が京都で様々な画策をしたところにあります。1950〜1953年の朝鮮戦争による軍需景気等により国民の生活が安定した頃の1957年に戦犯の岸氏が総理になっています。その様な状況の中で、お上のやる事に疑念を持ち始めた国民が日米安保条約に不安を感じて反対運動が高まり、その目をそらす手段としてスポーツの振興が考えられたようです。その時の総理大臣が山口県の田布施町出身であると言う事実は何を物語るのでしょう。  

 多くの日本人の意識がスポーツ新聞の内容に集約される所に向いてしまったのは、この辺に原因がありそうだと気が付いた 次第です。但し今と言う時代を否定する気持ちはありません、何でも言えるし、食うに困るわけでもないし、誰でも銃を持っているわけでもないし、徴兵制もありません。脳天気かもしれませんが、日本の今が結構気に入っています。中学生の時は第一次安保闘争に参加しましたが、それ以後はノンポリ学生で通し、卒業後に民生同に近い組織で活動しその後べ平連に参加したりもしましたが、またノンポリに戻って今に至る人間の言う事なので的外れかもしれません。

日米安全保障条約
http://www.d4.dion.ne.jp/~aoisora/sub31.htm
安保闘争
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/annpotousou.htm

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