2001年11月23〜25日
出雲ルンルでのお話
出雲大社公民会の講義室で |
出雲ルンルで聴いた話 ールンルの認識が変わりましたー 少欲知足・・・欲を持たずに現状に満足せよ・・・ と思い込んでいましたが「そうじゃないんです」と 植原先生は言います。 また、「力を緩める」と言うと何もかも力を抜いてしまう 事だと勘違いしている人もいますが・・・ そうではありません。 どうも根本的にルン・ルの認識を間違っていたようです。 少欲知足とは“とてつもない大欲を持って、それを実現 させる為に狂う間に少しだけ我慢する事、少しだけ世の中にも還元する”という事です。少←このノの部分は大欲を少し削ると言う意味。力を緩めると言う事も普段は力を緩めていても、やるべき 事を見つけた時には鬼のように、狂ったように力を発揮 出来るように心と身体と魂の力を緩めておくと言う事です。※多くの人は義理、面子、形式的な義務、惰性の付き合い、保身、他との比較に力が入ってしまい狂う事が出来ないの かもしれません。 宮本武蔵のあのだらりと力を緩めた姿は、切りかかられた瞬間に100%の力が発揮できる形ですね。アンテナを敏感にしておく事も大切ですし いざの時に発揮できるものを蓄えておく事も必要です。※宮本武蔵の喩えは他の講師の話をホームページ 管理者が勝手にくっつけたもので植原先生は言っていません。自分なりのイメージで解釈して下さい。 多くの人は自分にはこの程度だと考えて小さな欲しか持たず、 それに少しのプラスアルファーを積み上げる事が出来ずに 汲々として生きています。また今のままで良い、現状のままで良いと考えているうちは、 本当に生きているとは言えない、生々流転していくのが本来の姿なのだから・・・・ るん・るとは単に寝転がって心地よさを味わうものだ、 何もしないで癒しが与えられるものだ・・・等と言うようなものでは無かったのです。本来、経営者の為のトレーニングとして始められた意味がようやく分かりました。 今、たくさんの会社が消えていきますが・・・ 怠けていた訳でもなければ、勉強を怠っていたわけでも ないはずです。皆必死で頑張っているつもりでもうまくいかなかったのでしょう。 るん・るやその他の自分に合った方法で“心と身体と魂” の力を緩めていく事で、この時代を楽しめる経営のスタイル が観えてくるのかもしれません。それはサラリーマンにも公務員にもOLにも学者にも医者にも 主婦にも、何かを始めようと言う人にも有効な何かですね。 ※録音していたわけでは有りませんので、不正確な部分も有ると思います。なんとなく自分なりに解釈して下さい。 夕食後のお喋り会で聴いた話 (酔っていたので、正確ではありません)好き嫌いの感情は無理に否定しなくて良い 一人でいる事は、他人と無理に歩調を合わせる必要 が無いのだから、それはそれで心地の良いものです。 病気の時はじっとうずくまっていれば治る 本当に力が緩んだ時には、とてもだらしない顔になって別の口が開きます。その口が開くと、見えない世界から戴いたものを 放り込む事ができます。 お釈迦様は大好きです・・・但し 覚悟する 神様は馬鹿だから、何も願わずに「ありがとうございます」 と言っていると「あれ!?おれはこいつに何か感謝される ような事をやったんだろうか」と気にし始めます。 どう考えても自分は何もしていないと気がつくと 「何か良い事をしたと勘違いされているのなら、たまには こいつの為に便宜をはかってやるか」となるのです。また中にはやきもち焼きや意地悪な神様もいるので、 お賽銭で神様の攻撃を祓うのです。 (ただし、はらう金額は関係有りません) 便所の神様は家の中で一番偉い神様便器の上に座っているのが一番力を持っている 神様です。 綺麗にしておくと便所の神様はご機嫌です。 |